第二段 ~恋は誠実であれ~

 昔、男ありけり。奈良の京は離れ、この京は人の家まだ定まらざりける時に、西の京に女ありけり。その女、世人にはまされりけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それをかのまめ男、うち物語らひて、かへり来て、いかが思ひけむ、時は三月のついたち、雨そほふるにやりける。
 おきもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめくらしつ

 時が具体的に述べられ、リアリティを持たせている。平安京はまだ人が定着していなかった。その上、西の京はいっそう開発が遅れていた。「かのまめ男」とあることから、これは初段の男を指している。「かの」は、こう読ませるために使われたのである。ならば、旧都奈良で雛にも稀な美女を見初めた経験がここでも生かされたらしい。こういう人もまばらな鄙びたところにいい女がいるはずだと考えたのだろう。「まめは〈真面目だ・誠実だ〉の意。話し手は、第一段の行動を高く評価している。
その女、世人にはまされりけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。」と、二文に分けて勝っていることを述べている。どう勝っているのか、読み手に期待させるためである。しかも、「その女」を「その人」と言い換えている。勝り方を強く印象づけるためである。「女」よりも「」の方が人格を言うにふさわしい。さらに「なむ」を使った係り結びで効果を上げている。
 しかし、いい女は放っておかれることがない。独り身でもないらしい。(「ひとりのみもあらざりけらし」)既に通っている男がいたらしい。男は逢ってみてそれを知った。それでも、男は女の気持ちを何とか引こうと口説いた。「まめ」とあることから、駆け引き無しに誠実に語らったのだろう。しかし、どうも思い通りにはいかなかったらしい。男は、帰ってきて、どう思ったのだろう(「いかが思ひけむ」)、女に歌を贈る。春の雨はその時の男の心情を暗示している。
 歌は、「春のもの(とて)」(=春の物(として))が問題である。「春のもの」とは、「ながめくらしつ」(=ぼんやりと物を見て、物思いにふけりながら1日を過ごす。)とあるのだから、しとしと降る(「そほふる」)雨のことである。そぼ降る春の雨は、満たされない男の思いそのものであった。男は、歌によって、今の満たされない思いを女に何とかわかってもらおうとしたのだ。しかし、このように一方的に思いを述べるだけでは相手の心を動かすことができない。この歌は、目的を果たせなかった失敗作である。
 恋には、たいていライバルがいる。いい女であれば当然だ。いつも思い通りにいくとは限らない。しかし、それでも、誠実に思い悩むのが恋なのである。どんなときにも恋は誠実(「まめ」)でなくてはならない。

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