はじめに


 ブログを始めます。これは私が長年してきた国語の授業の延長です。

 私は、この3月に停年を迎えました。けれども、まだ授業は続けたいという気持ちがあります。しかも、それを求めてくれる生徒たちがいます。それに後押しされて、ネット上で授業を続けることにしました。

 読んでくれた人がよかったと思える授業にするよう努力します。題材は、古文から現代文までいろいろです。 

 

 


コメント

  1. 匿名 より:

    実にわかりやすい。

  2. 匿名 より:

    ごきげんよう。
    山川さんのブログの愛読者です。
    いつかは山川先生の授業を受けさせて頂きたいです。

    • 山川 信一 より:

      ごきげんよう。コメントありがとうございます。
      匿名さんは、これまでに私が教えた生徒ではないのですね。
      新しく生徒になってくれるのですね。大歓迎です。

      • はまゆう より:

        ごきげんよう。お久しぶりです。
        山川先生の授業がネットでも受けれるなんて、嬉しいです。
        さて、近頃私は(語彙力)や(伝われ)と周りの人が使う言葉に違和感を覚えています。
        「人の一つの心」という言葉がありますが、多くの人が共有している気持ちを言葉に表すことが重要であり、それを(語彙力)などの言葉で表現を諦めてしまうのは、かなしいです。
        山川先生はどのようにお考えでしょうか。

        • 山川 信一 より:

          「はまゆう」さん、コメントをありがとうございます。私にとって「はまゆう会」は特別な学年です。私の教師としての集大成を実現できた学年でした。あなたは、そのお一人なのですね。
          「はまゆう会」の皆さんがいなかったら、教師としてここまで来ることはできませんでした。授業をしている毎日が充実していました。毎日わくわくして授業していました。
          改めて感謝します。ありがとうござました。
          さて、ご質問の答えですが、確かに、語彙力という捉え方は安易で、不正確ですね。何を以て「語彙力」と言うのでしょう。そもそも「語彙」は「力」という比喩で表せるものなのでしょうか。
          なるほど、沢山言葉を知っている人はいます。でも、それは語彙を単語カードで暗記することではありません。「語彙力」と言うとそんなイメージです。
          しかし、大事なのは、言葉にならないモヤモヤした思いを何とかして表そうと格闘して紡ぎ出す営みではないでしょうか。その結果出て来た言葉はモノローグであっても相手に伝わります。
          私は、そんな言葉を信じています。

          • はまゆう より:

            お返事ありがとうございます。

            山川先生にとって特別な学年だったというお言葉が嬉しかったです。私も卒業後に山川先生の授業を思い出したり、山川先生ならどの様にお考えになるかと想像したりしていました。

            今回、ご丁寧に質問に答えてくださり、ありがとうございます。これからは、不器用ながらも相手に気持ちが伝わるよう、格闘し続けていこうと思います。

  3. かさご より:

    こんにちは。お葉書、ありがとうございました。

    先生の授業を受けたことがきっかけで、文章を書くことや、読むことが好きになったので、こうした形でまた授業を受けられるのはとても嬉しいです。楽しみにしております。

    • 山川 信一 より:

      コメントありがとうございます。
      こちらこそ、読んでいただいて嬉しいです。
      楽しくためになる授業を心掛けます。またコメントしてくださいね。

タイトルとURLをコピーしました